イタリア縦断旅行vol.12ポンペイ編Part2
こんにちは!
ポンペイ完結編になります!
Part1に続き、ディープver.と読んでくださった方ありがとうございます!
下に前回の記事を貼っておきますので、良かったら読んでください!
さて、酒場から「テルマエ・ロマエ」でも話題になった浴場へ向かっている最中でしたよね!
中はと言いますと・・・
男女別になっていて、脱衣場も完備されています。サウナ・温水浴室・冷水浴室がありました。浴室は蒸気で温められていて、今でいうボイラー室のようなシステムも確認されています。浴場のそばには、運動して汗をかくような運動場があった浴場もあります。
そして、
こちらが大理石で出来ている浴槽です。公衆浴場としては小さいような気がします。サウナが主流だったんですかね!
街には浴場は3ヶ所あったそうですが、1万人ほどの人口が3ヶ所に押し寄せていると考えると、大変な混雑だったのではないでしょうか。
そして、こちらがサウナです!
前にあるのは冷水が出てくる噴水だったそうです。サウナで火照った体を冷やすために設置されたんですね!
これに寄りすぎて、部屋の大きさがちょっと伝わりにくくなってしまったのですが、おこの部屋の広さはこの写真の2倍くらいです!
そして、この噴水ですが・・・
なにやら文字が刻まれていますよね・・・?
どういうことなのかといいますと、この噴水は寄贈されたもので、これを寄贈した人の名前と選挙の売込文が書かれているそうなんです!
おもしろい!!!!
当時、ポンペイですでに議会政治が行われていたことがわかりますよね!
そしてこちらが冷水浴場!いわゆる水風呂ですね!
サウナの後に水風呂に入れるようになってます。
また、運動場の近くでもあるので、夏場は直接こちらに来ることもあったのかもしれません。
浴場はこのあたりにして、他にも街を散策していくと・・・
普通の道なのですが、白いのが埋まってるのわかりますか?
これは、大理石なのですが、日が沈んで夜になったときに足元を見失わないように埋められていたそうです。
道は、すべてではないですが、きちんと歩道と車道にわかれている場所もありました!
他にも・・・
こちらは、鉛でできた当時の水道管です!
当時のポンペイには、公共浴場に給水するもの・共同水汲み場に給水するもの・富裕層の家庭に給水するものの3つの水道形態があったそうです。
これは、富裕層の家庭への給水かな!
先ほど出てきました水飲み場というのはこちらです!
顔の口の部分から水が出ていました。顔の石ではなく、水飲み場自体の四角の枠の顔の近くの左側が窪んでるのわかります?
これは、当時の人がみんなここの手をついて飲んでいたからくぼんだそうですよ!
伝わってるかな・・・
このような水飲み場が他にもいろんな場所にありました!
そして他には・・・
こちらは公衆トイレ!水道だけでなく、下水の排水路のシステムも整っていたようです。水洗トイレだったんですね!
さらに歩いていると・・・
こんな看板のついている建物が!
運送屋さんだったそうです。生活の息遣いか聞こえてきそうです。
そしてフォロと呼ばれる公共広場がこちら!
正面に見えているのがポンペイの街が埋もれる噴火をもたらしたヴェスヴィオ山です。
フォロは公生活の中心だったので、裁判所や市場や神殿などがありました。この形になったのは1世紀のことだそうですが、原形が形成されたのは紀元前2世紀だとか。
神殿はフォロの周りにもたくさんあり、全ては紹介できないのですが・・・
こちらはアポロ神殿と呼ばれる場所で、一番古いとされています。右奥にいるのがアポロです。どれくらい古いのかといいますと、紀元前6世紀からのものだそうです。
そして、79年に被災された方の石膏像が展示されていました。
どのようにしてこの石膏ができたかというと、灰で埋もれたこの街が発掘されたとき、火山灰の中は遺体部分だけ腐ってなくなり空洞になっていました。
その空洞に石膏を流し込み、再現されたそうです。
時速100kmとも言われる火砕流から逃れることは難しく、恐怖に慄く姿や逃げ惑う姿が再現されています。
もちろん人間だけでなく、犬など動物の姿もありました。
今、生活を送れていることに感謝しようと思わせていただきました。
紀元前から1世紀にかけての生活がこんなにも感じられることに驚きました。本当に当時の人の生活が見えてくるようでした。
ポンペイいかがでしたでしょうか?想像よりも遥かにスケールも大きく、興味深いものばかりでした。ポンペイのオススメ度は星9つです!ぜひぜひ行ってみていただきたいです!!
そういえば・・・
フォロの一角でこんな場面に遭遇しました。
ほっこりです( ´ ▽ ` )ノ
次回はバチカン市国です!
おしまい!!
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